命の声

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ホーム JF共済について 命の声 第4号 「災害は忘れた頃にやってくる」

「災害は忘れた頃にやってくる」

JFひやま 奥尻支所長

坂本さかもと 治広はるひろ さん

北海道

■ 紙一重で命が助かった

 地震のあった夜は、自宅で友人と電話をしていて、大きな揺れを感じたと同時にぶつりと通話が切れてしまいました。子どもの頃に日本海中部地震を経験していたため、「大きな地震の後には津波が来る」という認識がありました。すぐに車を出して、近所に住む両親を迎えに行き、高台の姉の家へ送り届けました。これは後から知ったことですが、自宅から直接姉宅へ向かう道は地震後まもなく津波に飲み込まれたそうです。両親宅を経由したことで被害にあわずに済みました。まさに紙一重のところで命が助かりました。
 私たちが暮らす青苗地区では火災も発生しました。地震に伴って出火した炎は、翌朝に鎮火するまで広範囲に燃え広がり、自宅も燃えてなくなりました。煙をあげる町の様子を見守ることしかできず、やるせない気持ちでいっぱいでした。

 津波により、漁業も大きな被害を受けました。イカ釣りで沖に出ていた船は無事だったのですが、それ以外の船や漁具の多くは流されてしまいました。漁業関連施設も損壊したため、漁を再開したくても荷受けする場所がない。仮に荷受けできたとしても今度は商品を輸送する手段がありません。そうした問題が解決するまでの間、漁はしばらく休業していたと記憶しています。

 組合の建物も被災しました。その頃の私は入職2年目の若手職員で、耐火金庫に保管していた重要書類を探したり、整理したりすることが当面の仕事でした。先輩たちは島内の各地区をまわって、被害状況の調査や漁業者との面談に奔走する日々でした。

■ 災害に強い漁港づくりを目指して

 津波と火災で壊滅的な被害を受けた青苗地区では、その後、災害に強い漁港づくりを目指してさまざまな施設が整備されました。その一つが青苗漁港に建造された「人工地盤」です。高さ約6メートル、全長約160メートルにも及ぶ巨大な避難用高台で、漁港で働く漁業者が迅速・安全に避難し、津波から身を守るために活用されています。地震から8年後の2001年には、島南部の徳洋記念緑地公園内に奥尻島津波館が完成。こちらは、震災の記憶と教訓を後世に伝えるための施設として、島内の子どもたちの防災学習などに役立てられています。
 北海道南西沖地震は、日本海中部地震の10年後に起きました。被災後しばらくは「10年周期で大きな地震が来る」と警戒感を強めていましたが、あれから30年以上が経ち、その気持ちもだいぶ薄れてしまったように感じます。私自身も日常生活のなかで災害を特別意識することはありません。しかし、津波や崖崩れのあった道路を車で走っているときに、「今地震がきたらどうしよう」と不安がよぎることがあります。長い間地震がなかったからと言って、この先も絶対にないとは限りません。忘れた頃にやって来るのが地震の怖いところです。震災の記憶は風化していきます。だからこそ、対策や準備をしておくことが重要だと考えます。そしていざ災害が起きたときには、自分と周りの人の命を第一に考えて行動してほしいと思います。

「平成5年北海道南西沖地震(奥尻島南部)」
奥尻空港から程近い青苗地区は、津波と火災の影響により、島内で最大の被害を受けた。地震直後に発生した火災は、翌朝鎮火するまで10時間以上、広範囲にわたって延焼。焼損面積は約19,000㎡、焼損棟数は180棟以上に及んだ。
島南端のエリアは津波により完全流出した。現在は緑地公園として整備され、園内に建てられた奥尻島津波館が津波の恐ろしさと教訓を後世に伝えている。

  • 津波で漁船が陸に打ち上げられた(青苗地区)

    津波で漁船が陸に打ち上げられた(青苗地区)
    (提供:奥尻町教育委員会、
    撮影:鎌倉照夫氏)

  • 緊急避難用高台 人工地盤「望海橋」

    緊急避難用高台 人工地盤「望海橋」

※所属・役職等は発行当時のものです。