命の声

命の声

「津波は垂直に登れ」

宮城・JFみやぎ七ヶ浜しちがはま支所 組合員

小野 富美彦 おの ふみひこ さん

宮城県宮城郡七ヶ浜町

大井 誠治の写真

 震災は停泊させていた漁船(12t)の前で作業をしていたときに、起こりました。突き上げる揺れの中、大急ぎで陸地を走って逃げました。途中、地割れが発生していたのを記憶しています。地震速報のあと、大津波警報が発令されたため、船を守るために一度逃げた道を引き返して漁船に乗り込み、沖に出ました。
 私の地区の主な漁業はのり養殖であり、3t未満の船外機船が多い地区ではありましたが、私を含め10t前後の大型船で漁船漁業を営んでいた数隻の船は、そのほとんどが沖に向けて走らせていました。このとき、地域に伝わる古い教えに「沖にいくと津波はない」という言葉があり、頭をよぎっていたと思います。
 前浜は仙台湾であり、北部には桂島などの有人島や、さらに北の松島湾は、沢山の無人島が点在する浅い海域となっています。津波は、水深が深ければ波高が低く、水深が浅ければ波高が高くなることから、出来るだけ水深が深い水域を目指して東側(太平洋)に向かいました。
 第1波は、レーダーにしっかりと映っていたため、接近する速さも判りました。近づいてくるとまるで壁のように押し寄せてきます。操船は、波に対して直角に波の頂きに向けて真っすぐ、波の頂きに到達するときには、空を向いている船首を出来るだけ下に向けなければ、波を超えたときに頂きからの落下の勢いと波との衝突で船が壊れると思い、速度を下げることが必要でした。
 第1波を超えると、第2波では5つの波が連続して襲ってきました。周りに目を向けると、北部の浅い水域に、私が超えた波をはるかに上回る巨大な波が見え、もし、あの海域にいたなら助からなかったと思いました。
 沖には、瓦礫が散乱していて帰港できず、船上で2泊し、3日目にようやく陸に帰ることができました。食料は、津波で破壊された工場から流出したカップ麺を幸運にも拾うことができ、水の備えも間に合いました。
 私からの『命の声』は、津波に対して垂直に操船して波を登ること、そして、波の頂きでは速度を下げて、船首をできるだけ下に向けることです。
 また、震災後に改めて調べてみましたが、私が津波を超えた水域の水深は、30~38mでしたが、巨大な波を目視できた北部の水域は、5~10mの水深しかなかったのです。沖に避難し津波に遭遇するときには、出来るだけ「深い」水域へ全速力で目指すことが大切です。
 日頃より自分の前浜の地形や水深・海底の形状などを把握し、海上避難を行う進路を考えておくべきだと思います。

※所属・役職等は発行当時のものです。