命の声

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ホーム JF共済について 命の声 第3号 「家族を安心させてください」

「家族を安心させてください」

JFあきた北部支所
元全国漁協女性部連絡協議会会長

岡本おかもと リセ さん

■「津波は来ない」は間違い

 日本海中部地震が起きたとき、私は能代市の妹宅を訪れていました。立っていられないくらいの激しい揺れに「これは只事ではない」と思い、慌てて八森町(現・八峰町)の自宅に戻りました。八森町岩館地区は海に面した漁師町ということもあり、特にひどかったのが津波の被害です。自宅は、時化が来ても波が入らないように基礎を高くしていたため床下浸水で済みましたが、倉庫に保管していた漁に使うロープが流されました。あれほど大きく重たいものが流されてしまったことに驚きを隠せませんでした。また、津波で運ばれてきた大量の漁網、各ご家庭の味噌樽、お隣の床屋の備品などが辺り一面に散乱し、片付けに苦労しました。

 漁師である夫は、20マイルの沖合で底引き網漁の最中に被災しました。船底から突如大きな音がして、そのときはエンジンの故障かと思ったそうです。夫とはなかなか連絡が取れず、ようやく漁協を通じて無事を確認できたときは安堵しました。偶 然 なのですが、この日はいつもより沖合で漁をしていたらしく、津波に飲まれずに済みました。隣の八森地区では亡くなった方もおり、生死を分けるのは本当にわずかな差なのだと強く感じました。
 この辺りでは昔から「地震が起きても津波は来ない」と言われてきました。昭和14年にマグニチュード(M)6.8を記録した男鹿地震のときもやはり津波は来ませんでした。しかし日本海中部地震では、来ないと言われていた津波が来ました。当時、高台にある中学校に通っていた次男の話では、真っ白い高波が陸に向かって来るのが学校から見えたそうです。この地震をきっかけに家族で話し合い、次に大きな地震があったら、自宅裏手の高台にある神社に逃げることを決めました。 「津波は来ない」は間違いです。浜で生活する漁業者の皆さんは、もしものときにどこに逃げるかを、家族で話し合っておくことをお勧めします。

■ 救命胴衣の着用推進に奮闘

 漁師の家に嫁ぎ、船や乗組員の安全をいつも気にかけるようになりました。漁協の婦人部(現・女性部)で特に力を注いだのが救命胴衣着用の啓発です。秋田県と言えばハタハタ漁が有名ですが、極寒の冬の海で激しく揺れる小船に乗って漁をするため危険と隣り合わせ。昔は「動きにくいから」と、救命胴衣を着ない漁師も多く、陸で見守る家族は心配が尽きませんでした。私も「早くハタハタ漁の時期が終わればいいのに」と思っていました。
 救命胴衣を着てもらおうと、着用啓発のチラシを作って配ったほか、漁師のご家庭を一軒一軒訪問し、「家族を安心させてください」と訴えて回りました。全国漁協女性部連絡協議会の会長に就任後は、全国の総会でも着用の重要性と命の大切さを呼びかけました。婦人部の地道な活動が実を結び、救命胴衣の着用が当たり前になったのはうれしい限りです。
 私たちは漁で生計を立てています。安全に操業してもらわないと、安心して生活することはできません。浜の安全を守るためには、 漁師の意識に加えて家族の協力も大切だと思います。

「昭和58年日本海中部地震(県北部)」
5月26日11時59分、秋田・青森県沖を震源とするM7.7の大地震が発生した。北海道から九州にかけての広い範囲で津波が観測され、震源に近い秋田県北部の八竜町(現・三種町)では、津波の高さが6.6メートルに達した。
八森町(現・八峰町)ではしばらくの間、陸地が海と化し、波が引いた後は大量のがれきが道路を埋め尽くした。

  • 漁船被害=能代市能代港中島橋

    漁船被害=能代市能代港中島橋

  • 漁船被害=能代市能代港中島橋

    岸壁に打ち上げられた漁船
    =能代市能代港中島橋

(出典:秋田地方気象台ホームページ)

※所属・役職等は発行当時のものです。