命の声

命の声

「船より命を」

福島・JF相馬双葉そうまふたば相馬原釜そうまはらがま地区 組合員

石橋 正裕 いしばし まさひろ さん

福島県相馬市

石橋 正裕の写真

 大震災の数か月ほど前に、「津波注意報」が発出される地震がありました。予想される津波の高さも低いものではありましたが、皆が漁船に乗り沖に出るという経験をしていました。
 地震発生時は、母の実家で延べ縄の縄くくりをしている最中でした。屋内ということもあり、沢山の物が落ちてきましたが、ケガをするようなこともなく、大急ぎで港に向かうべく叔父の車に乗りました。港では叔父の船はあるものの父の船(6.6t)は既に出航していました。叔父の船に乗り、海上で乗り移り父と合流しました。地域の僚船もその後次々と沖に出ました。
 遠くに見える津波は黒い壁のように見えながら、船に近づいて来ました。砕けている白波を避け、進行方向を変え乗り切る時は波に対して直角になるよう舵を切りました。陸を襲った津波が戻ってくる返し波は、沖で超えた波の半分を超えるくらいの高さはあったでしょうか。双方に注意が必要でした。
 津波警報はラジオで聞き、震源地の方向から来るものと思っていましたが、全く反対に近い南側から襲ってきたことには驚愕しました。
 このとき漁船を沖に避難させるということは、数か月前の経験もあったことで、当然のことだと認識されていたと思います。いち早く出船した方は無事であったと思いますが、津波が沿岸に近づいてから出航した方の多くが犠牲になりました。
 「津波はここまではこないだろう」とか「津波を甘く見てしまった」ためだろうと思いますし、助かった自分も含めこの時はそう考えていたと思います。
 家族は無事でしたが、住宅は基礎工事を除いて全てが流されました。
 この震災を経験し「水の強さは恐ろしい」こと、また「船より命」を改めて心に留めています。
 家はまた建てれば良いと考えますが、「船」は漁師にとって家族の生活を支え、そして守るための「全て」だと思います。船さえあれば再び稼げるのです。しかしながら「命」を危険にさらしてまで「船」を守るのかと聞かれれば、「命」が先です。結果としてですが、国(行政)や多くの皆さんの支援などで、震災後に再び船を手にすることが出来た方々もいたのですから。
 この相馬市にも古い言い伝えがあります。「つのみずはん」という言葉で、津神社までは津波が来ないという教えです。高台にある神社なのですが、震災ではその直前まで波が上がったものの神社は無事でした。
 今、私は青年部長をしています。私が、そしてこの震災を経験した我々が、この後の世代にこうした「言い伝え」を教えていく責任があります。『船より命を』です。

※所属・役職等は発行当時のものです。