「すべてを放り出し、命を守る行動を」
JF浅野浦 代表理事組合長
河野 秀二郎 さん
兵庫県
■ 漁をやめることも考えた
今から30年前、父と兄の三人で海苔漁をしていました。阪神・淡路大震災があった日、私は遅番で朝5時半頃に起床。布団を出ようとした瞬間に「ドンッ」とびっくりするような音で下からの突き上げがあり、その後激しく横に揺さぶられました。テレビを付けると、大きな地震を知らせるテロップが出ていました。すぐに家族を安全な場所に避難させ、父や兄がいる海苔納屋(加工場)に向かいました。
納屋に着くと、活性タンクに入れていた大量の海苔があふれて散乱し、一帯が真っ黒に。屋内では調合機(海苔の厚さを調整する機械)が倒れ、乾燥室とバーナーの間には50センチメートルほどのすき間ができていました。両親や兄に大きな怪我はありませんでしたが、バーナーが燃え、火事が起きていたら大惨事になっていたと思います。自宅であればさまざまな防災対策ができますが、納屋には大型の機械や特殊な設備が多く、対策の難しさを感じます。
浅野浦は、島内でも特に被害の大きな地域でした。道路は亀裂まみれで、溝にはまって立ち往生する車を何台も目にしました。みんなパニックになっていたのだと思います。陸にあげていた約30隻の底引き船がすべて横倒しになっている光景には我が目を疑いました。ほとんどの納屋が被災し、稼働できなくなったため、養殖中の海苔は刈って処分し、海に張った網も一旦撤去しました。海苔のシーズンはまだこれからでしたが、あまりの被害の大きさに「今年は漁をやめる」という話も出ました。しかし最終的には続けることで意見がまとまり、浜の仲間で協力し合って何とか再開にこぎ着けました。
■ 震災を機に高まった防災意識
震災の前後で大きく変わったことがあります。それは防災に対する意識です。震災をきっかけに、家族や漁師同士で地震について話す機会が増えました。淡路島は2013年4月にも大きな地震(震度6弱)に見舞われましたが、多くの住人が震災を経験していたため、慌てることはありませんでした。
災害から命を守るために大事なのは、場面場面に応じてどう逃げるかを考えておくこと。それしかないと思います。夜に沖に出ることもある漁師は特にそうです。浅野浦の場合、漁場から網をあげて港に帰ってくるまでに1時間前後かかります。沖で地震が起きた際、津波が到達する前に港に戻るのか。戻らずに水深の深いところへ逃げるのか。命を守ることを最優先に考え、適切に行動しなければなりません。
陸にいるときも同じです。船が心配な気持ちも分かります。しかし私は、息子や娘から言われた「絶対に船の様子を見に行ってはいけない。死んでしまうで」という言葉を守ると心に決めています。震災当時は津波に対する危機意識がまだ低く、船や岸壁の様子を見るために多くの人が浜に集まっていました。もし津波が来ていたら、全員亡くなっていたでしょう。大震災を経験した当事者の一人として、「家や仕事をすべて放り出してでも、自分の命を守ることだけを考えて行動してほしい」と、皆さんに伝えたいです。
「阪神・淡路大震災(淡路島)」
神戸市や芦屋市のほか、淡路島北部の一部地域でも震度7に達した。北淡、津名、淡路、一宮、東浦からなる津名郡5町(現・淡路市)の人的被害は1200人以上。住家被害は約1万7千戸に上った。なかでも震源に近い北淡町は、約9割の家屋が倒壊・損壊するなど壊滅的被害を受けた。
淡路島では平成25年(2013年)4月13日にもM6.3の地震が発生し、淡路市で震度6弱を記録した。
-
阪神・淡路大震災(斗ノ内地区)
(提供:北淡震災記念公園) -
北淡震災記念公園
野島断層保存館「野島断層」
※所属・役職等は発行当時のものです。
