「思い込みによる行動は危険」
JFひやま 共済推進委員長
奥尻町町議会 議長
水野 諭 さん
北海道
■ 先入観を持ってはいけない
地震の翌日、7月13日はアワビ漁の最終日でした。早朝からの漁に備えて早めに就寝しようとしたところ、大きな揺れに襲われました。そのときに真っ先に思い出したのが、10年前に起きた日本海中部地震です。秋田・青森県沖を震源とするマグニチュード7.7の大地震で、奥尻島にも津波警報が発令されました。だから今回も「地震の後には必ず津波が来る」と思い、すぐに家族を近くの高台に避難させました。
その判断は適切でしたが、ひとつ反省すべき点があります。10年前の大地震で奥尻島に津波が来たのは、揺れが収まってから約30分後だったため、「今回もそうだろう」と決めつけてしまったのです。「船の様子を見に行く時間は十分にある」と考えた私は、自宅から港に向かおうとしました。当日は快晴で、月の明るい夜でした。ふと海の方に目を向けると、白い波が押し寄せてくる様子がはっきりと見えて、慌てて高台に逃げ戻りました。もし月明かりがなければ白波に気づかず、港に下りて津波に飲み込まれていたでしょう。過去の自然災害の経験から学ぶことは大事ですが、先入観を持って行動してはいけない。これが、私が皆さんにお伝えしたい「命の声」です。
避難先の高台で不安な一夜を過ごしました。月明かりのなか、漁港に係船していたイカ釣り船が沖を漂う姿が見えました。自分の船だと分かっても何もできず、ただ眺めるほかありませんでした。建物が崩れる音や海に流される音も聞こえてきました。私が住む稲穂地区には50 〜60軒ほどの建物がありましたが、自宅も含めて壊滅状態。残ったのはわずか数軒でした。翌日になって、崖崩れや火災など他地区の被害の様子も知りました。港に船の様子を見に行って亡くなった方も多く、とても心が痛みます。私も同じように被害にあっていたかもしれないと思うと恐ろしくもあります。
■ 各家庭で防災用品や避難ルートを準備
奥尻島のような小さな島では、交通インフラに被害が出ると生活物資の供給が途絶えてしまいます。北海道南西沖地震のときも物流に大きな支障をきたしましたが、震災の数日後に、対岸の江差町や乙部町から漁師仲間が水や食料、燃料を運んできてくれたのはとてもありがたかったです。
地震を機に、島民の間で備蓄に対する意識は高まったように思います。震災直後には、高台に簡易な小屋を建て、そのなかに水や食料を保管するなどの対策がとられました。現在は自宅での備蓄が中心で、親戚や知人の家を訪れると、玄関先に防災用品が準備されているのをよく見かけます。
「備え」という点では、避難場所までのルートを事前に確認・確保しておくことも重要です。震災復興に伴い、行政が避難用の道路を建設してくれましたが、それとは別に、自宅から最短で安全な場所へ逃げられる避難ルートを準備している家庭も多いです。自宅の裏山に続く獣道の草刈りを定期的に行い、もしもの際に逃げやすいようにしているという話も耳にします。我が家では、稲穂灯台が建つ岬の高台に逃げることを家族で決めています。
「平成5年北海道南西沖地震」
7月12日22時17分、北海道奥尻島沖で起きたM7.8の大地震。日本海側を震源とする地震としては近代以降で最大規模となった。
震源から近かった奥尻島には、大津波警報発令前に津波が到達。西部の藻内地区、南部の松江地区や青苗地区を中心に甚大な被害をもたらした。北部の稲穂地区では、数軒を残し、ほとんどの建物が倒壊・流出した。島全体の人的被害は300人以上、住家被害は1,000棟以上に及んだ。
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津波によって崩れたのり面と災害後に建てられた仮設住宅(稲穂地区)
(提供:奥尻町教育委員会) -
賽の河原 慰霊碑
※所属・役職等は発行当時のものです。
